2016.06.13
「クリエイティブな会社」って言われるのはなぜなのか、考えてみた
目次
「御社は、戦略的でクリエイティブですね。」
最近、とあるお客様からいただいた言葉だ。近ごろ、以前にも増して耳にするクリエイティブ、というキーワード。
私自身がソフィアに入った10年前から、ことあるごとにお客様やパートナーから「クリエイティブですね」という言葉をいただく。
そして、お客様が私たちソフィアを選ぶ理由の一つとして、クリエイティビティ、があるという。
私自身、長いこと同じ職場にいるので、本当にクリエイティブなのか、一体何がどうクリエイティブで、それがどう生まれているのか、よくわかっていない。
だからこそ、「クリエイティブな組織」で働く一員として、一度まとめてみたいと思った。
その足掛かりとして、一旦ソフィアという組織の特徴を挙げてみようと思う。
特徴その1 職場はとにかく明るい
自由な職場、だと思う。では、奔放かと言われると、決してそうではない。
働きやすくするための制度として、フレックスタイムやリモートワーク、時短勤務など、メンバー一人ひとりがライフスタイルに合わせて働きやすいような仕組みは整っている。
しかし、決してそういった自由、ではなく、一人ひとりの個性が開放されている、「開けっ放し感」があるのだ。
面白いものは、面白いと大笑いする。
そうすれば、何が面白いの?と、誰かが問いかけ、一緒に笑う。
そうしているうちに、狭いオフィスの中は、笑いで満タンになる。
先日起きた「カチカチ山」談義がわかりやすい例だ。
「カチカチ山」はどう発音するのかを発端に、30分以上にわたる議論が起きた。
「カチカチ山」とまっすぐに発音するのか、それとも、「カチカチ山」の二つ目の「チ」にアクセントを置いて発音するのか。
それは、東京出身とそれ以外で異なるのか。
それにしても、そもそもタヌキに火をつけるなんてウサギはやりすぎじゃないか。
そんなことを言えば、他の昔話も同じじゃないか。
こういう昔話をハリウッド風映画にできないか・・・。派手なアクションシーンで・・・。
次から次へと話題が遷移するのだが、その多くは「どうでもよい」内容だ。思ったままに、思ったことをただ発言し、誰かがのっかり話題が変わっているだけ。つまり、頭の中に浮かんだことが、モレているとしか言えない状態。
そして、これは就業時間中に、それぞれのデスクから発せられているのだ。
他社の人に聞けば、信じられないという。仕事中には私語を慎む、という暗黙のルールがあったりするそうだが、ソフィアの中は、私語と仕事がミックスされて、オープンな場で語られているから、賑やかであること限りない。
じゃあ、暇なのか、と言われると、決してそうではない。通常であっても、時間を持て余すことは全くないし、繁忙期は、みな多くの時間を仕事に費やす。
時間が来たら終わり、という働き方ではなく、一人ひとりが自律して、プロジェクトのゴールに到達するために、目的志向で目いっぱい戦っている。
それでも、カチカチ山談義は尽きることはない。
特徴その2 特技と個性をカケザンする
世の中一般的なカテゴリで分けると、異なる職種になるであろう人が集まった職場である。コンサルタント、編集者、研修講師、プログラマー、デザイナー・・・と、メンバーの人数分挙げていくことになる。
学歴だって、経歴だってバラバラ。メガバンク出身者もいれば、元芸能マネジャーもいるし、元報道ディレクターもいる。
「普通」に考えれば、同じ職場にはあまりいない人たちが集まっているものだから、まとめるのも大変そうだといわれる。
大きくいくつかのチームに分かれ、それぞれに責任者がいるものの、組織に明確なヒエラルキーはない。
すべての仕事はプロジェクトであり、プロジェクトの目的や性質に応じて、メンバーをアサインする。
メンバーは、常に複数のプロジェクトに関わっており、自分の役割を果たしていくが、仕事の進め方は各人に任されている。
一般的には、同じ職場で、机を向かい合わせて座ることがあまりなさそうな組み合わせのメンバーが集まって、プロジェクトを運営するので、長く一緒にやっていても、発見や気づきが生まれ続ける。
積み上げた経験が異なるから、ものを見るときの角度や見え方が違っていることがその要因だろう。
違うことを活かし、楽しみ、そしてたまにぶつかる。
違うことを知っているから、集まれば全く異なる視点のアイデアがたくさん生まれることを知っている。
一人より二人、二人より三人と、個性豊かなメンバーが集まれば、ただの進捗共有ミーティングでも、賑やかな改善ミーティングに進化することも多い。
例えば、新入社員向けのプロジェクト型研修を企画する際も、音声編集が得意な人、Webデザインができる人、ワークショップデザイナーがそろっていたおかげで、Web社内報に載せる部署紹介ラジオ番組を作るプロジェクトへと進化した。新入社員たちが、自社の強みや事業内容、人を理解するために、グループに分かれてインタビュー取材を行い、ラジオ番組を作る。そして、上司や先輩たちに番組を聞いてもらうために、番宣ポスターをつくる。制作プロセスで得た学びをプレゼンテーションするとともに、作ったラジオを自社のWeb社内報で公開する。
他にも、上位管理職向けの行動変容ワークショップで管理職自らが寸劇を行うプログラムをつくってみたり、落語で研修をやってみたり、頼まれてもいないのに、勝手にキャラクターのぬいぐるみを作ってコンテンツを発信しようとしていたり。
それぞれの特技や個性を掛け合わせることによって、新たな取り組みがどんどん生まれている。
特徴その3 モノサシが違うことを知ろうとする
ソフィアでは毎年必ず夏合宿を2泊3日で実施する。今年もそろそろその時期がやってくる。毎年テーマとプログラムが異なるため、何をやっているのかを一言で説明はできないのだが、必ず行っていることがいくつかある。
そのうちの一つが「パーソナルヒストリー&モメンタムチャート*」だ。(他にも恒例行事として、“座禅”という私にとっては過酷なプログラムもある)
いろいろな経緯でメンバーがジョインするので、お互いをよく知るために行っている取り組みだ。(メンバーの平井がこだわって運営しており、最近ではお客様でも活用されている)
パーソナルヒストリーは、生まれてから今までの年表を作ること。モメンタムチャートは、これまで生きてきた人生の波をグラフに表すこと。この二つを必ず共有する。
長く生きてきた人は長いプレゼンになるのだが、どんなところで、どんな風に育ち、どんなことを考え、どんなことに影響を受けたのか。そんなことを共有する。
考え方、価値観とともに、その価値観が生まれた背景を共有する。
自分の勝手なモノサシで測るのではなく、相手のモノサシを知る。
*モメンタムチャートは社長インタビューでも活用しています
違うことを前提とした関係性から創造性がうまれる
元々、人はクリエイティブだと思う。
子供は遊びの天才だというが、子供のころはそれぞれのクリエイティビティを、それぞれが好きな分野で発揮していたはずだ。
それが、大人になると、急になくなってしまうという。
元々島国で民族の同一性が高い日本。終身雇用を前提としてきた日本企業には、異なることへの恐怖が生まれてしまったようだ。
「これを言うと、怒られるかもしれない」
「こんなことを発言したら、バカなやつだと思われてしまうかもしれない」
「こんなことを言ったら、おしまいかもしれない」
発言した内容だけを否定するのではなく、発言した人そのもの含めて否定しているような錯覚に陥る、あるいは、本当に人間そのものを否定してしまう。
そんな負の文化がある会社も多いだろう。
そんな恐怖から、気が付いたこと、思ったことを気軽に発言することを阻んでいるのかもしれない。
言えない空気が、人のクリエイティビティを奪ってしまうのではないだろうか。
私たちは、違うことを前提にしている。
生まれた場所も、育った環境も、今の生活も、大切にしていることも、全部違う。
それを当然のこととしているから、ある程度は、何を言っても、許容され、受け止めてもらえる。
そういった“本当に”気軽なコミュニケーションができる場だからこそ、個々の個性と能力が惜しみなく発揮される。それらを上手に掛け合わせることができたときに、クリエイティビティがうまれるのではないだろうか。
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